最近、すごく心に響く歌がありました。
『Pretender』という曲です。
ドラマの主題歌になっているらしい。
自分なりに解釈して残しておきたいと思いました。
では、歌詞
君とのラブストーリー それはいつも通り
いざ始まってみれば一人芝居だ
ずっとそばにいたって結局ただの観客だ
感情のないIm sorry それはいつも通り
慣れてしまえば悪くはないけど
君とのロマンスは人生柄、続きはないことを知った
今回はここまで解釈したいと思います。
君とのラブストーリー
→ラブストーリーは日本語で言うと愛の物語。
それは予想通り いざ始まってみれば一人芝居だ
→君との愛の物語は予想通り、一人で演じている。
恋はいつも片思い。そして、それを予想できるくらい何回も、自分は好きなのにいつも相手が思ってくれないという状況を経験している。
あと、愛の物語を「演じている」という表現も後々効いてきます。
ずっとそばにいたって結局ただの観客だ
→観客は誰でしょうか?
ずっとそばにいる人。主人公の演技を傍観している人。
主人公が思いを寄せている「君」ですね。その人は主人公のことを何とも思わず、ぼーっと観ている程度だってことですね。悲しい、、😢
感情のないIm sorry
→いつも通り、決まり文句の『ごめんね』「いつも通り」と前の「予想通り」が歌の抑揚と言葉遊びが同じでリンクしています。「予想通り」の入った文と照らし合わせると、主人公の片思いの相手に『ごめんね』と振られたということですね。
それはいつも通り慣れてしまえば悪くはないけど
→振られるのはいつも通り。それまでにも振られたことが何回もある。でも慣れて「しまえば」悪くはない。
本当は振られることに慣れたくないんだけど慣れてしまっている。振られることは嫌で、いつも純粋に好きなんだけど振られてしまう。そしてその傷も慣れれば「悪くはない」。純粋な好きという気持ちが、ごめんねの一言で終わる。当然、その傷は深いものです。なのに、それを「悪くない」と言ってるのは強がりのように思えます。
君とのロマンスは人生柄続きはしないことを知った
→君との愛の物語は終わった。そして、自分の積み上げてきた人生は君に見合わない。君の存在よりも自分の人生の重さの方が軽かった。自分の人生さえも否定してしまう。
すごく悲しいけど、リアルだと思います。次はサビですね。また今度、書きます。